冷血

冷血 (新潮文庫)

冷血 (新潮文庫)

購入書店:銀座教文館 ブックカバーは青

購入書店:銀座教文館 ブックカバーは赤


教文館の階上のホールでは、藤城清治の展示が行われているようだ。その名前に見覚えがなくとも、あのオメメがぱっちりした小人が飛び回るような影絵といえば思い浮かぶひとも多いのではなかろうか。母親が『暮らしの手帖』を購読していたということもあり、懐かしく、馴染みのある絵である。『お母さんが読んで聞かせるお話』(うちにあったのはAである。Bもあったようだ。今は入手困難らしい。)という本は、子供の頃、寝る前の本としての定番であったのだが、母親が読んで聞かせてくれたことより、わたしが母親に読んで聞かせていたという記憶しか残っていない。

同僚から映画『カポーティ』を一緒に観に行こうと誘われたので、予習として『冷血』を買いに行く。探す手間を省くために店主に声をかければ「新潮文庫ですね」と即答し、そそと売り場へ誘導、(もちろん映画公開に向けてカポーティのコーナーができている)、平積みになっている本の数冊下から1冊を引き出し、(購入者の心理を見透かされているようで若干、恥ずかしい)、その場で「こちらですね」と手渡される。礼を言うと、「ありがとうございます」と微笑みを含ませた声で言われ、しかしその対応は本当に心地よく、まるで一流ホテルのコンシェルジュのようでありました。

カポーティは、『ティファニーで朝食を』しか読んでいないと思っていたのだが、売り場で平積みになってる本を眺めていると、『遠い声、遠い部屋』の表紙には見覚えがあり、それはおそらく実家の本棚にあったものかと思われる。自分で買った覚えはないので、父親か姉のものだったのだろう。多分、わたしは高校生で、おそらく、村上春樹を順番に読み始めた頃、それを「読んでおかなくちゃいけない感」にとらわれて手に取ったのだろうが、なにがなんだかちっともよくわからなかったので途中でやめたような気がする。(今でもそうだろうと予想する。)

ガルシア・マルケスの方は、もともとこういうエロジジイ系の本(ひどい言い方だ)に興味をそそられてしまう性なのだが、巻頭文は川端康成の『眠れる美女』で、ああ本当に、カワバタというのは世界的に認められた文学者なのかと改めて思った。(春樹がノーベル賞を逃したことは、その後で知った。)

先日、教文館のブックカバーの紙質が変わったので残念に思っていながらもレジに向うと、『冷血』は文庫でカバーは青、ガルシア・マルケスの方は単行本でブックカバーは赤を依頼したのだが、手にしたものはもとの上質な紙であった。レジの手元を伺うと、どうやら単行本の青のカバーのみ紙の色が違って見える。考えるにおそらく、単行本サイズの青はもう在庫がなく、いずれ、新しい紙質に変わってしまうのだろう。そんなこと、ずいぶんといじましいとは思うのだが、教文館で本を買うことが至福の習慣であったので、気になってしょうがないことなのだ。

ハヤカワのコーナーでは、アゴタ・クリストフの『昨日』の文庫が平積みされており、「教文館イチオシ!」とPOPがついているので、やはりこの書店の品揃えは、自分の好みと一致しているのだという再認識。
だってさ、なんで今になって『昨日』のイチオシキャンペーンなんだろう? わたしもこの本にはガツンとやられたクチですよ。

ああやはり、本はいつも教文館で買いたい。

ガルシア・マルケスの本を読んだのは初めてなのだが、正直にいって、ずいぶん新鮮だった。気の利いた言い回しも、英語やフランス語圏のそれとは違うし、舞台となる土地の空気も違う。シエスタが習慣となる国のハンモックがある風景とか、うだるような暑さの空気感とか、今まで読んだことの無い種類の本。一度読んで、あまりにも楽しかったので、もう一回読んだほど。大切にしたい一冊。